2021/11/21 22:25
プーマは、いつでも私にとって、孤高であり、反逆者であり、且つ解放者であり、絶対的な存在としてのアイコンである。
ペレ、クライフ、ネッツアー、ケンペス、マラドーナ。私は、その解放者のイメージを纏いたくて、プーマをいつも身に着けていた。
もちろん、少年の私には、少年用のスパイクやシューズは手に入れることはできても、たいていのプーマは手が出ない商品で、憧れのプーマのパーカーを手に入れる余裕が持てるようになったのは、仕事に就いて給料を貰えるようになってからだ。
プーマを身に着け、クライフを追いかけ、フットボールを楽しみ、時には、それを他の世界で応用してもみたが、クライフのようにプレー出来た試しは一度たりともない。人生のなかで、クライフターンのようなテクニックもトータルフットボールのようなゲームビジョンも奏でることはなかった。でも、それでよかった。だからこそずっと憧れとして追いかけることができ、今でも私を楽しませてくれるのだから。
f’ree generation は、プーマへの私なりの、オマージュである。プーマのようにマイノリティでありながらも、その世界の開拓者や解放者のそばにいること。解放への力となること。
ただ、忘れてはいけない。自由とは解放であると同時に、追放でもあることを。彼らは解放されながら追放されし者達でもあった。ペレもクライフもネッツアーもケンペスもマラドーナも、グラウンドから、チームから、時には運命からも追放され続けた。そんな者たちのそばにずっといて、そっと寄り添い続けたプーマ。
プーマのように、f’ree generation も追放者、パラダイスロスト・ウォーカーたちへのサポート・ギアになること。永遠に、そういうブランドで有り続けたい。